2018年8月18日土曜日

「さよならの珈琲」

悲しいときに笑うようになった
楽しいときに泣きたくなった
光だと思っていたものが嘘だった
捨てたいはずの社会性だけが本物だった
人や時間や生活のあらゆるものが積もった身体を
浄化してくれるのは都会に溢れているカフェだけだ
週に一度のカフェの珈琲でようやくまた歩き始める
壊れたコンパスだけを御守に
いつしかさよならを伝えることが目的になった
例えば
空と海の青の違いとか
東京のエスカレーターの乗り方とか
そういうものを全部まとめてさよならと伝えたい
君に 会って 伝えたい

わたしはまた珈琲を注文する
さよならのために


2018年8月12日日曜日

「死にたい季節」

どうせ死ぬなら雪の降る夏がいい
夏の果てしなく続く空は好きだけど
うだるような暑さは大嫌い
冬はそんなに好きでもないけど雪は好き
冷たくてふわふわしているから
だからどうせ死ぬなら雪の降る夏がいい
空はどこまでも高く遠くて地表は白く幻想的な雪で覆われて
そんな日はどうせ来ないけどこれは所詮願望だから
20年近く生きていればそのぶん希死念慮も大きくなるのに
それを否定したがるのはあなたが死ねなかったからだ
私、これから死ぬよ
静かに劇的に
あなたには絶対に見つけられない季節に

【感想】#流れ星ふたたび 第二夜

たかはしりおこさんの短歌ネプリ「#流れ星ふたたび 第二夜」に参加させていただきました。
こちらは既発表を問わず過去作を集めたネプリです。
第二夜ということで二度目の企画のようで(一度目は嫉妬林檎は不参加)、一度目はTwitterで発表した作品のみを扱っていたみたいですが、今回はその制限はありませんでした。

早速いくつか感想を書いていきます。

外側で眠るコーラも快速の風に吹かれて生きようとした/平出奔
爽やかでリズムの良い一首でつい流してしまいそうになったが、これが意外と読み解けない。「快速」から電車に乗り込んでいる映像が浮かんだが、明示されておらずそうとも言い切れない。いちばん引っかかりを覚えるのが「外側で」。仮に電車のシーンとすると外側とは窓側と言い換えてよさそうだが、コーラを擬人的に扱っていることからもこれは自分自身の「外側」と言いたいのではないか。だとするともっと抽象的な心理描写なのではないか…などと推測を超えてこれはもはや妄想である(読み解けませんでしたというオチです)。


六畳に満たない部屋に置いてあるもう弾いてない古ぼけたチェロ/小澤ほのか
六畳に満たないというのは狭い。一人暮らしだとしても手狭だ。そんな空間にもう弾いていない、言ってしまえばスペース的に邪魔なチェロがある。かつては毎日何時間も弾いていた大切なチェロなのだろうがしかし忙しさなどによってもう弾けなくなってしまった。これは未練だろうかそれとも良き思い出だろうか。僕は前者のように思う。


眠れない夜は羊の着ぐるみであなたの夢を駆け回ります/たかはしりおこ
読んですぐ「あ…好き…(恍惚)」となった一首。
え…可愛すぎませんかねこれ。やばいでしょ。語彙力を失うというやつです。
はぁ…好き…。



僕は2016年にツイートした短歌で参加しました。
10年後立派なおとなになるために割るべきスイカは10センチ右/嫉妬林檎

そういえば前々回の更新のときに紫陽花を見に行きたいと書いていたのですが、無事に見に行けました。